ソシオパス日記

反社会派ブログ

自分はソシオパスなのでは、と思い始めた頃

小さい頃から貧しい家庭で虐待やいじめを受けて育ち、涙を流して懇願しても誰も助けてくれないし、人が1人死んでも何も世の中は変わらないということを中学生くらいにはわかるようになっていた。小学生くらいまではまだまともな人間だったような気がするが、中学生や高校生くらいからは笑っているフリ、悲しいフリ、楽しんでいるフリ…いろんなフリをして先生や周りの学生に溶け込むようになった。その方が世の中が楽に進む。

高校時代に勉強というものが面白くなってしまい、のめり込んだ。相変わらず人の感情というものがよくわからなかったが、数学や英語などは非常に客観的な唯一の答えが出てくるのが面白かった。間違えた回答を出した他の生徒に対して、正しい答えを伝え、「これは比較的レベルの低い問題である」などと言うことでお前は無能、と間接的に伝えることに喜びを感じていた。

高校学内では常にトップの成績で、偏差値なども抜群にトップ。レベルの低い授業では他の授業に集中するため睡眠に時間を利用したりして怒られることがあったが、テストの結果はいつも満点でトップなので先生たちもあまり私を責められなくなっていた。

大学は一流私大に合格し入学。学費はほぼすべて奨学金を利用した。貸与のものが70%ほどで、30%は給付。学内では倍率がかなり高い奨学金1つと、まぁまぁ倍率が高い奨学金1つをダブル受給することができたが、ダブル受給は当時なかなか珍しかった。貸与を利用したのでローンは残ってしまったが、利率はかなり低いものにした。これらの奨学金を出してくれている団体や組織への感謝は言葉では表せない。いつか直接感謝したいが、まだタイミングではない。

在学中も様々なことをした。大学時代は貧しかったが楽しく、自由闊達に議論をしたり遊んだり、真剣に研究をしたり遊んだりして精一杯楽しんだ。研究では社会学について研究したが、特に魔女に関する研究は非常に興味深いものであった。魔女や悪魔などの邪悪なものに心が惹かれるのを止められず、図書館などで悪魔について調べたりしていた。

悪魔は存在しないし、魔女はスケープゴートでしかないのだが、両者ともどこか黒いのだ。人間が感じる恐怖、怨念、そういった黒い感情が具現化されているという意味で非常に興味深かった。同時に北欧神話ローマ神話ギリシャ神話などの神話にも興味を持ってのめりこんでしまった。人が思う神は完全体なのだが、どこか冷酷かつ自己中心的で性的にだらしない。教科書に載っているような完璧に白い精神体なのではなく、どこか神も黒い部分がある存在なところが面白かった。日本の神話だって、生贄を準備させて人を食ったりするものもいるし、どこか黒い。そしてその生贄というところが、魔女にどこか似ている。つまり人類はどこの世界でも、誕生してから今に至るまで、何かを誰かのせいにして虐めることで自分を保ってきたのだ。そしてそういうことは、社会不安が高まっているときにこそ起きやすい。

大学を卒業した。”理想的な人材”になることは得意だったので、日本では超一流といわれる企業に入り、幹部候補生となった。どの人もなかなか手強いというか、頭が切れる人間たちだった。しかし、どこか物足りなさを感じていた。退屈ではなく、どこか良い人にならなければいけないのが自分に合わないと感じていた。良い人にならなければいけない、なぜなら会社の人たちがみな良い人だからだ。ある同僚が他人を騙して、得をするような施策を実行しているのを聞いたときには、心が踊り、こいつはなかなか面白いやつだと思い、自分の中での仕事における楽しみを見つけたものだった。

幹部候補生というものは特定のスキルを学ぶわけではなく、その企業において様々な役職を経験しなければいけない。つまりいろんなところに飛ばされる。毎回違うチームに飛ばされ様々な役職に就かなければいけないのだが、あるとき無能な管理者がいるチームに配属され、成果に関係のないことを評価する空気があった。つまり成果を出しているかどうかよりも人材の育成や、どれだけハードに働いているかを評価する、といった具合だ。仕事は成果に関係のないことを求められ始めた途端に、何をするべきかがわからなくなる。成果を出したのにも関わらず、あまり働かないから、もしくは成果の質に疑問があるなどといった理由で叱責を受けるなどといったことが重なり、混乱した。

それまでは何においても最高の業績を出してきた私にとっては最大の屈辱だった。上のものに異動をお願いするも、どこの役職も空いてないので我慢してくれということで、チームに居座ることを我慢しなくてはいけない。合理的に考えれば、チームで役立たずの上に異動するポジションもないのだから会社は私を首にするべきなのだが、首にするといろいろと不都合があるからなのか首にはしないようだった。「お前無能なのになんでいるの?」というチームの空気がありながらも机につき、ミーティングなどにとりあえず参加する。チームにおける大切なミーティングにも呼ばれなくなっていった。

失望していた。無能な管理者にも、その管理者にたてつかないチームメンバーにも。労働契約書に残業代は月30時間以内は残業代は出ないとあるから、合理的に考えて残業しても損をするだけなのに残業を強要してきた。私は拒否し、残業しなくても業務を回すことができる仕組みを提案したが、「楽をしようとしてはいけない」と却下されてしまった。管理者もメンバーも毎日遅くまで残業していたが、私は一秒たりとも残業しなかった。管理者と対峙するだけではなく、管理者にNOと言えないチームメンバーたちからも私は孤立していった。あまり荒波を立てたり”良い人”でいなくなるのを恐れていたのだろう。

ある日、ベッドから起き上がれなくなった。まさに動けなくなってしまい、ベッドから出られなくなった。出社の時間になると、突然自宅で嘔吐してしまった。熱かもしれないと思いひとまず休みを取ったが、休みを取ると決まった直後に体調が急回復し、熱でもなんでもないことがわかった。身体がストップをかけたのだ。金銭的な懸念やキャリアに傷がつく可能性などはあったが、身体の健康の方が大事であると判断し、私はその数週間後に退職届を提出してすぐに退職した。

つづく