ソシオパス日記

反社会派ブログ

大企業を退職して

好業績を叩き出して評価されることを生きがいにして生きてきた私が、初めて挫折を味わった。それが企業での仕事だった。成果を出すためなら数人の人生が犠牲になるなどといった多少の犠牲は仕方ないと思うが、自分の人生を犠牲にすることは絶対にありえない。そう考えている自分にとって、成果を出すことよりも自身の時間を犠牲にすることを優先している人たちの存在が全く理解できず、かつそれに対してNOと言わない人たちもよく理解できなかった。一体なんのために仕事をしているのか、わざわざ自分から奴隷になりたいと志望して奴隷になっている人たちを見ているようだった。

何か問題が発生しても適当な解決策を念密に計画した上で解決策を打てばいつも問題を解決することができたが、そういう表層上のことではなく人間の本質的な価値観に関してはなかなか変えたり、コントロールすることができない。他人を変えることより自分を変える方が早いということは知っていたのでカメレオンのように、社会的に理想的な人間になっていたが(同時に八方美人にならないようバランスよく)、カメレオンだって奴隷のように働かせられないようにしようとしたときに、流石に色を変えただけでは対応ができない。鎖を外して逃げるしか方法がない。

奴隷のような労働を大企業で求められた私は、数週間後に退職届を出して退職。退職してからは零細企業でアルバイトとして働いたが、すぐに退屈してしまった。キャリア的に自分にとって有利なわけでもないし、本当に日銭を稼ぐためだけに働いていたので、すぐにやる気を失っていってしまった。会社自体は悪くないが、単に上にもあがらず下にも下がらない、日常が淡々と過ぎていくことが最高に嫌だった。半年程度経った頃に会社をやめ、独立することにした。

イデアベースでうまく投資家から資金調達をし、IT企業を数年経営した。毎月キャッシュが減っていく恐怖を感じながらとにかく必死に働いた。数人程度の従業員を抱える会社になったが、キャッシュフローは毎月赤字。ユーザー数を伸ばしていることを活かしてなんとか次の資金調達はできないものかと思っていたが、レベルの高いプロダクトを出すためにリリースに時間がかかってしまっていた。ようやくリリースしたプロダクトはなかなか良い感触だが、次の資金調達に至るまでには全くもって投資家に訴えられるくらいのユーザー数はいない。キャッシュが尽きる前日まで全力で走るつもりで勝負をかけていたが、キャッシュが尽きる前に株主側から経営者を交代するオファーがあり、単独拒否するほどの株式を十分に持っていなかった私は会社を突然追われてしまった。

高校生くらいから成果を出せない無能は消えるべきで、成果を出せるものが生き残るべきだと信じていた私にとって、ビジネスで成果をうまく出せずに終わってしまったという経験はすなわち、自分は無能であったという帰結になる。実際、私はある程度のレベルまでにいったという意味ではある程度は有能で、それ以上まではいけないレベルに無能だったのだ。大きな組織で働くことにうまく慣れることができず、退屈な仕事に飽き飽きし、自身で立ち上げたベンチャー企業も成功とも失敗とも言えないレベルだった私の中では、自身は学業の世界では成果を出せても、ビジネスの世界においては成果をまだ出せていない。つまりビジネス界ではある程度のレベルまでには行けるが、それ以上まではいけていない人間、という客観的評価が下せる。もしビジネスの世界ではダメなら、より高い成果を出せることに集中するよう業界や勝負する場所をシフトさせた方が自分のリソースを最大限活用することができる。

だが、2~3社程度で自身の可能性を断定するのは早計でもある。もう少しいくらかビジネスにおける経験を積んでからでないと自身の適正は見えてこないと考える方が合理的だし、手っ取り早く経験を積むならさっさとどこか会社に入って働いてみることが自然だ。日本の大きな企業には合わなくても、外資系なら合うかもしれないし、自分で立ち上げたビジネスだって、ITではなければまた違うかもしれないし、日本国外でやればまた違うかもしれない。よって、次にやるべきことはそういった今までとは違うことを消去法的に見ていくことなのだろう、とひとまず結論づけている。