ソシオパス日記

反社会派ブログ

怠惰すぎること

私は自分で言うのも変だが、非常に怠惰だ。怠惰すぎて気をつけないと、ずるずると後ろ髪を引っ張られてしまいにはホームレスになって何もしない、ということになってしまうのではと危惧してしまうくらいに怠惰だ。たとえば、買い物をしにスーパーマーケットに行って買い物袋を持って家まで歩く、ということが耐えられないのでネットスーパーの宅配を利用する、といった具合に、”頑張る” ことができない。

とにかく楽をしたがるので、それが怠けていると周りに思われることは少なく無い。しかしより正確には、最短ルート、つまりショートカットをとっているだけだ。ニンテンドー64マリオカートでうまくショートカットを使えば早くゴールに着くことができ、周りに勝つことができるが、そういうことが好きなのだ。卑怯な手を使って楽して勝つことが。しかもその結果を持って「お前は俺よりも無能である」ということを、相手が敗北したという事実を根拠にして説明することが好きだ。

勤勉であること、もっというとハードワークであることを求める日本社会では、えてしてこのように怠惰であることを許さない人たちがいる。楽して5時間でお金を手に入れるよりも、10時間かけてもっと努力してお金を手に入れよう、という具合に。時間を長く使うことで最大量の成果量をあげようという目的なのだろうが、経済理論的には時間を伸ばしたからといって成果量が増えるということはなく、時間が増えるにあたって時間あたりの成果量は減っていく(収穫逓減の法則)。また1日あたりの労働時間は8時間を超えると精神疾患にかかるリスクが数倍に上昇することからも、最適な労働量は1日8時間以内に全力をあげることが現時点では最適と言える。

リソースがあるから人はリソースで解決しようとしてしまう。筋肉があってできてしまうからスーパーで買い物をして重い買い物袋を持って家に帰ろうとしてしまうのであって、筋肉がなかったり障害を抱えていたらネットスーパーを利用する。お金や時間があるからあるタスクをお金や時間をかけることで解決しようとしてしまう。そもそもリソースがないという前提に立つだけで実はよりリソースをかけずとも解決する方法を見つけることができる。これは労働にも当てはまっていて、1日8時間しかないという前提で働くことと、1日いくらでも働くという前提で働くのでは仕組みに対する意識が違う。労働量を増やすことでなんとかできてしまう状態だと、仕組みを変えたり、新しい仕組みにすることで少ないリソースで何かの業務を解決しようという気がわかない。

目標は実現不可能なレベルに高く設定した方が良い理由はここにある。頑張るだけでは絶対に達成できないので、仕組みを変えることを意識するようになる。コストカットの目標が異常に高く設定されているからこそ、部署ごと人員全員クビにする、という決定を下すことができる。中途半端な目標だと、人員削減しなくてもなんとかできてしまうので中途半端に終わってしまう。目標は実現不可能なレベルに高く設定した上で、それを達成する方法を考える。もし達成する方法が思いつかなくて、いろんな人に相談してもできないのなら、それは下げた方がいいかもしれないし、企業内では目標達成度でボーナスなどが上下するところもあるので目標はあえて低めにして自己目標は高めにしておく、など工夫は必要だが。

私はそういった目的を達成するための手段としては人殺しなどといったことはしないし、そういった事件に巻き込まれた遺族のことを考えると口にも出せないようなことだが、人殺しをしないと目的が達成できないので仕方なくやらざるをえないサイコパスは存在する。ただし、現代では人殺しのような非人道的なことをすると見つからないようにすることが非常に難しいということと、見つかると社会的な評価が地に落ち結婚も就職もできなくなるなどデメリットの方が圧倒的に大きいので、よほどのことでない限りまともなサイコパスはやらないだろう。ましてや殺人のようなことをして警察に見つかるなどといったことは、絶対にやらない。

話が少しずれたが、私はとにかく楽して何かを達成するということだけに対しては脳が120%稼働する。本来は社会的に許されないが成果を出すことができる方法を見つけたりするとニヤニヤが止まらなくなり、もうやらないではいられない。たとえば、ある人に何か絶対に言ってはいけないことをそそのかして言わせて、それをレコーディングして保存しておき、あとで訴訟を起こして賠償金を手に入れて働かない生活を手に入れる、などいったことを考える。消えてもらいたい人間がいた場合には、自宅の庭に忍び込み、手に入れた大麻を植えたのちに通報することで、社会的に抹殺できないかなどといったことを計画したりすることが好きで、実際には心のどこかにブレーキがあるので実行にはうつさないのだが、おそらく我慢できなくて実行してしまう人たちがいるのも理解ができる。

しかし、この怠惰具合は小さい頃からずっとあるもので、時として怠惰すぎることとが原因で社会的な問題を起こしてしまうことがあるため、困ったものだと思っている。